2010年9月20日

2010 MotoGP R13アラゴン

あちこちに貼られた小さな48や、スタンドに揺れるメッセージや日の丸。
セーフティーカーやアラゴンサーキットのHPにもついていたリボン。
たくさんの人が形に表した「想い」をみつけるたびに、
やっぱり胸がぎゅっとする。

ロレンソのヘルメットには思わず泣かされそうになったし、
イアンノーネが旗った旗やしぐさを見たときは、ありがたいなと思った。
正直、あれは日本文化的にちょっと族っぽくも見えますねぇ、とも…。
ぱっと見たとき、なんで日章旗?とか思ってしまった(笑)

予選放送の最後の映像や、
MotoGP決勝が始まる前の映像も素敵だったけど、
黙祷のシーンを含めて作られたこの映像もとても素晴らしくて、
どんだけ愛されちゃってるのよ!と思わずにいられないです。
In memory of Shoya Tomizawa

ロッシヲタ的には悪夢のような展開(バルベラの後を走るだなんてぇぇぇ)
だったけど、どのクラスも面白くて楽しめた。
ニッキーひさびさの表彰台に大喜び。
日本GPでもこんなレースを見たいなぁ。

2010年9月12日

誰かのちいさな希望

今週末にはGPで、再来週には全日本。
立ち止まっていられるほどの時間はないのだな。

どうせなら楽しそうだったり悔しがったりする、
元気な姿を覚えていてあげたい。
あちこちで出くわす富沢祥也の笑った顔はどれもとてもかわいくて、
見かけるたびに胸がすこしぎゅっとなる。
それぞれの人の思い出の中にいる彼の姿はどれも明るく微笑ましくて、
たくさんのステキなコトを知れたり思い出せたりした。

これからしばらくはきっと、
誰かの胸や肩にある48と言う数字を見かけるたびに、
ぎゅっとした気持ちになるんだろう。

行き場のなくなった希望や想いは誰かに押し付けたくなる。
とくに互いに凌ぎあってきたライバルやその後輩たちに。
だけど、いままでも精一杯がんばってきた彼らに、
祥也のぶんもがんばって!なんて軽くは言えない。

いま思えば、清成龍一にはそういう気持ちを
ものすごく押し付けて見ていたように思う。
あの頃より少し気持ちの整理の仕方を覚えた分、
なんだか申し訳ない気持ちになってくる。

想いを継いで走る姿に私たちはきっと勇気付けられるのだろうけど、
自分の分を精一杯がんばってくれれば、それで十分だよ。
その姿をこれからはもっと応援してあげたい。
それが私にできることのひとつかなと思う。

2010年9月6日

shoya tomizawa

全日本時代はよく知らない。
おー、よくにGP行けたなぁ、って感想を持ったくらいだった。
だけど誰に聞いても、いいコだよ、かわいいよ、いつも笑顔でね、
ってみんな可愛くて仕方ないって顔で言う。
人懐っこい笑顔と陽気な喋り方を見て、愛すべきおバカ、と
微笑ましい気持ちになりながら私は勝手に思っていた。

一か八かみたいなライダーは、あぶなっかしいけど
見せ場があるから好き。

なにより今年の開幕戦で勝って、私の目には俄然輝いて見えた。
見える人には見えていたんだな、このコの才能が、なんて
チームに感心しながら、富沢のキラキラ輝く姿が本当にうれしかった。
あのときの期待感ってしばらく感じないものだった。

そんなコが、あんなふうに傷つく姿を、
どうして私たちはなすすべもなく見せ付けられ、
悲しみとやるせなさでいっぱいにされなければならないんだろう。
あまりにあっけなさ過ぎて、どうしたらいいか分からない。

最後に見たのは8耐になるな、なんてイヤな思い出し方だ。
最後だなんて、嫌な言葉だ。

あの人はきっとこう思うだろうから…、なんて
死んだ人の想いを勝手に代弁するようなことは言いたくない。
目を見開いて背けない人もいれば、心が折れてしまう人だっているはず。
目をつぶると、事故のシーンが勝手によみがえってくる。
もうレースなんかみたくない、って気持ちにならずに済みたいって
自分が一番思ってる。


一番星が落ちた。そんな気持ち。

どきどきした。わくわくした。がっかりもした。
ひっくるめてたのしかった。
日本GPの君が代で泣く祥也を見て私も一緒に泣く。
それを楽しみに待っていたんだよ。

さよなら、祥也。
ご冥福をお祈りします。